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今川義元、上野忠家に三河国龍泉寺内の知行を安堵する

参河国龍泉寺之内年来拘置屋敷并名田、同付来山等之事

右、如年来不可有相違、然ハ料所其以後福嶋因幡守私領之時茂為各別拘置之間、只今阿部大蔵仁為知行雖出置、可為如前々、但相定年貢之儀者可令納所之、縦地検増分雖申懸、為本知行之条、有由緒拘置上者、不可準他■百姓者也、仍如件、

弘治二年

正月廿二日

  今川義元也、判後藤ノ文書ニ同、

治部大輔 判

上野三郎四郎殿

→愛知県史 資料編10「今川義元判物写」(藩中古文書)

 三河国龍泉寺の内で年来保持していた屋敷と名田、同じく付来山などのこと。右は、年来のように相違ないように。であるから、所領はそれ以後、福嶋因幡守の私領だった時分も各々が別に保持していたので、現在は阿部大蔵に知行として拠出しているものの、以前のとおりにせよ。但し、定められた年貢のことは納所させるように。たとえ検地による増分を出したとしても、本知行とするので、由緒があって保持する上は他の百姓に準じてはならない。

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