尾上彦太郎跡職之事
右、去年五月十九日、兄彦太郎尾州一戦之刻致天沢寺殿供無比類遂討死、為忠節之跡候間、知行以下任先判形之旨不可有相違、次ニ長増寺之事、山林竹木等如前々可為地頭計也、其上用水・井溝等之事、是又可為如先規、若違乱之百姓等令追却、郷中新百姓可申付候、縦百姓等寄事左右雖企濫訴、一切不可許容、守此旨弥可励奉公之状、仍如件、
永禄四 辛酉年
二月廿八日
氏真
→愛知県史 資料編11 「今川氏真判物写」(掛川誌稿巻九)
尾上彦太郎の遺産相続について。去る年5月19日に尾張国で一戦した際、天沢寺殿の供として兄彦太郎が比類のない討ち死にを遂げた。忠節をなしたので知行以下諸々は先の判形の旨に任せ相違のないように。次に長増寺のこと。山林竹木などは前々のように地頭の専有とする。更に用水や井戸・水路の件も先例の通りとする。もし違反した百姓がいたら追放し、郷中で新しい百姓を取り立てて下さい。百姓たちが理屈をこねて勝手に訴えたとしても、一切許容しないだろう。この旨を守り奉公に励むように。