今度万指越候処、尾州金山江其方入魂之由候、誠令安堵候、仍越後衆信州へ出張之由候間、至于実儀者、乗向可遂一戦候、為虚説者、以次越府江可及行候、旁々不図出馬候、約束之鉄放衆五十人、急速ニ加勢憑入候、万可如申者、苗左可有出陣様ニ支度之由候、於志者不浅次第候、雖然候自井口金山へ揺之由聞及候条、必苗左出陣延行尤候、恐々謹言、

六月十三日

信玄(花押)

遠山左衛門尉殿

同左近助殿

→戦国遺文 武田氏編「武田信玄書状」(尊経閣文庫所蔵『武家手鑑』)

1564(永禄7)年に比定。

 この度万端指示していたところ、尾張国(美濃国)兼山にあなたが昵懇であるとのこと、本当に安堵しました。越後国衆が信濃国へ出撃したとのことで、それが真実ならば迎撃して一戦しようと思います。デマであれば引き続き越後府中へ作戦行動に及ぶでしょう。いずれにせよ思いがけなく出馬しています。約束していた鉄砲衆50人は緊急で援軍をお願いします。万端伝えたように処理して下さい。『苗左』(遠山氏?)が出陣の支度をされたそうで、その志は深いものがあります。とはいえ、井口から兼山へ牽制作戦があったと聞きます。苗左の出陣は延期してもらうのがもっともです。

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