如毎年玉縄城米銭百八十文、此米貮斗六升ニ合、但当納法百文ニ一斗四升目積也、当月晦日を切而、小田原付越、安藤豊前ニ可渡之、竹千代殿御飯米ニ被進者也、仍如件、
丙寅
壬八月十日
田名 百姓中
→戦国遺文 後北条氏編「北条氏康朱印状」(陶山静彦氏所蔵江成文書)
1566(永禄9)年に比定。
例年の通り、玉縄城の兵糧用の銭180文分の2斗6升2合(但し当納法により100文=1斗4升での見積もり)について、今月末日で締め切って小田原へ付け越し安藤豊前守に渡すように。竹千代殿の御飯米として進呈されるものである。