廿六日之一札、昨晦日到来候、抑自當府之誓詞、松本請取、越山候哉、殊誓詞到来、則時ニ可為出張旨、誠以簡要候、畢竟其方馳走故候、弥無手透被打出候様ニ、可被相稼候、将亦如度ゝ申候、追日当陳任存分候、去廿八於山手懸合有之而、信玄親類ニ、長円寺弟号本郷八郎右衛門人を為始、十余人討捕候キ、其一両日以前も新太郎人衆河原ニ置伏兵、敵廿余人討捕候、至于今日勝利連続候、淵底自其地之人衆見聞之間、一ゝ可有注進候、将亦信州衆動之由得其意候、菟角其口之儀候間、指引可然様ニ貴所御馳走専肝候、恐々謹言、
此状日付も当所も紙キレ候而無之候、北条氏政一家之状ナルヘシ。
→戦国遺文 後北条氏編「北条氏政書状写」(歴代古案四)
1569(永禄12)年3月1日に比定。
26日の書状が昨日の晦日に到着しました。こちらからの誓詞ですが、松本が受け取って越山しましたか? 特に誓詞が到着したらすぐに出撃することが本当に大切なことです。そちらが活躍するなら、いよいよ隙なく攻撃して働くのがよいでしょう。そして、度々お伝えしているように、こちらの部隊の判断に任せていたところ、去る28日に山手で交戦があり、武田晴信の親類で長円寺の弟という本郷八郎右衛門をはじめとする10余人を討ち取りました。その日以前にも新太郎(氏邦?)の部隊が河原に伏兵を置いて敵20余人を討ち取っており、今日に至るまで勝利の連続です。真実はその地の人たちかが見聞しているので、逐一報告があることでしょう。一方で信濃国の衆が出動したという報告があります。とにかくそちらの方面のことは、何とかなるようにそちらで活躍いただくのが肝要です。