急度註進申候、今夜子刻、敵新太郎・大道寺、左の手先、是者寄合衆之番所ニ候、彼三口へ同時ニ致夜懸候、何も味方得勝利、敵敗北、討捕注文為御披見、別紙ニ進上申候、随而本郷越前守、於新太郎手前致討死候、其身十廿之間人衆召連、敵取懸模様見届ニ、山半腹へ落下、其侭敵ニ出合、越度之間、無了簡仕合候、本郷者一人同時ニ致討死候、其外手負にても無之候、此旨可預御披露候、恐惶謹言、

三月十四日

氏政(花押)

遠山新四郎殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条氏政書状」(小田原城天守閣所蔵文書)

1569(永禄12)年に比定。

取り急ぎ報告します。今夜子の刻、新太郎(北条氏邦)隊、大道寺隊、左の手先(これは寄合衆の番所です)の3方向に同時に夜襲を仕掛けてきました。どれも味方が勝利を得て敵が敗北しています。討ち取ったリストはお見せするために別紙として進上します。よって本郷越前守が、新太郎隊として討ち死にしました。彼は10~20人を引き連れ、敵の攻撃を見定めようとして山の中腹まで滑落、そのまま敵に出合って落命しましたので、思いがけぬ巡り合わせでした。本郷1人がこの時に討ち死にし、その他は怪我人すらいません。このことをご披露下さい。

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