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太原崇孚、牧野田保成に軍勢の動向と兵糧について指示する

両度以書状申候、参着候哉、仍御人数之儀、飯豊・井次其外境目之衆悉被仰付、西郷谷へ可有着陣候、其地御用次第可被招置候、兵粮之儀肝要候、今橋へ弾橘入城候者、於彼地商買之儀、可為不弁之条、此方より尾奈・比々沢迄可届申候、其間之儀、御調法候てめしよセられへく候、兵粮方之儀者、涯分つゝけ申へく候、御本意之上、可有御返弁候、此由西郡へも申度候、委細先書申候間、不能詳候、恐々謹言、
八月廿九日
雪斎 崇字判
牧野田三郎殿御宿所

→静岡県史資料編7 「太原崇孚書状写」(奥平松平家古文書写)

1547(天文16)年に比定。

 2度にわたって書状を出しました。到着しましたか。軍勢のこと、飯豊(飯尾豊前守)と井次(井伊次郎?)その他境目の衆全員に申し付け、西郷谷へ陣を張るようにしています。そちらで御用があり次第呼び寄せて下さい。兵糧は肝心です。今橋へ『弾橘』が入城したので、あの地で購入することは不便ですから、こちらより尾奈・比々沢まで申し届けておきました。その間のことは、調整して集めて下さい。兵糧のこと、可能な限り続けて下さい。本意を遂げた上でご返済があるでしょう。このことは西郡にも伝えて下さい。詳細は先の書状で申し上げたので詳しくは申しません。

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