去五日三州田原本宿へ馳入、松井八郎相談、以見合於門際、同名・親類・同心・被官以下最前ニ入鑓、各粉骨無比類候旨、誠以神妙之至也、殊被官木下藤三・溝口主計助・気多清左衛門突鑓走廻云々、弥可抽軍忠之状如件、
九月廿日
義元(花押)
天野安芸守殿
→静岡県史資料編7 「今川義元感状」(天野文書)
1547(天文16)年に比定。
去る5日に三河国田原の本宿へ突入し、松井八郎と相談して門際でタイミングを計り、同姓・親類・同心・被官たちとすぐに槍を入れた。おのおの粉骨したことは比類がなく、誠にもって神妙の至りである。殊に被官の木下藤三、溝口主計助、気多清左衛門が槍を突き奔走したと聞く。いよいよ軍忠にぬきんでるように。