一越相甲無事之儀、先両国御請、於諸篇不可背上意之趣言上事、付、可有口上、
一輝虎雖有存分、先ゝ以言上之筋目、先閣是非、御入洛之儀御馳走、併御当家再興之事、
一就御入洛之儀、隣国諸侍各無異儀御請候、然者今程可然時節無之候条、此度輝虎御馳走別而被頼思食事、
一上杉殿受領事、
一輝虎依存分、急度重而可被差下御使節事、
以上
三月六日
信堅
藤孝
藤長
→神奈川県史「足利義秋老臣連署条書」(吉川金蔵氏所蔵文書)
一、越後・相模・甲斐の無事の事。まず両国の受諾、諸事情において背けない上意である事を報告、それに口頭連絡も付加する。
一、輝虎に言い分があるだろうが、まずは言上した筋目をもって、過去のことはさておき、御入洛について奔走、そして『御当家』を再興すること。
一、上洛の事。隣国の諸侍がそれぞれ異義を唱えず了解しています。ですから今ほど最適な時節はないでしょう。この度輝虎が奔走する事は、特別にお願いの思し召しです。
一、上杉殿の受領の事。
一、輝虎の考えに基づいて、取り急ぎ重ねて使節を差し下すだろう事。
藤孝は細川、信堅は飯河、藤長は一色、輝虎は上杉の各氏と比定。