態可申入之処、此方使ニ被相添使者之間、令啓候、仍甲州新蔵帰国之儀、氏康父子被申扱候処、氏真誓詞無之候者、不及覚悟之由、信玄被申放候条、非可被捨置義之間、被任其意候、要明寺被指越候時分、相互打抜有間鋪之旨、堅被申合候条、有様申候、雖如此申候、信玄表裏候ハゝ、則可申入候、猶委細遊雲斎可申宣候、恐々謹言、
四月十五日
三浦次郎左衛門
氏満
朝比奈備中守
泰朝
直江大和守殿
柿崎和泉守殿 御宿所
→神奈川県史「朝比奈泰朝・三浦氏満連署書状案写」(歴代古案二)
こちらから申し入れるべきところ、こちらの使者にあなたの使者を添えていただき通信できました。甲斐国の若夫人が帰国した件。氏康父子が調停しようと申し出ましたが「氏真の誓詞がなく覚悟に及んでいない」と信玄が放言し、放置しておく訳にもいかずその意図に添うようになさいました。要明寺に指し越された時分、互いに抜け駆けはするまいと堅く申し合わせたことがあったことを申し上げます。このような事があったのに、信玄は裏表のある人物なのですぐに申し入れるべきでしょう。さらに詳細を遊雲斎が申し上げます。
本書状は(1564(永禄7)年)と比定されている。