就今度飯尾豊前守赦免、頭陀寺城破却故、先至他之地可有居住之旨、任日瑜存分領掌了、然者寺屋敷被見立、重而可有言上、頭陀寺之儀者、云今度悉焼失、日瑜云居住于他所、以連々堂社寺家可有再興、次先院主并衆僧中、以如何様忠節、令失念訴訟之上、前後雖成判形、既豊前守逆心之刻、敵地江衆徒等悉雖令退散、日瑜一身同宿被官已下召連、不移時日頭陀寺城被相移以忠節、頭陀寺一円補任之上者、一切不可許容、兼亦彼衆徒等憑飯尾、頭陀寺領事、雖企競望、是又不可許容者也、仍如件、
永禄七年
十月二日
上総介(花押)
千手院
→静岡県史 資料編7「今川氏真判物」
今度の飯尾豊前守赦免に当たり、頭陀寺城を破壊するので、その前に他の土地に居住することを日瑜の考えに任せて了承した。であるから寺屋敷を見立てて再度申請するように。頭陀寺のことだが、この度全焼したので、日瑜は他の場所に居住するという。営々と寺の建築物を再建するように。そして前の院主と衆僧のこと、何らかの忠節を立てたり、失念してから訴訟して前後する判決を出したとしても、既に豊前守逆心の際、衆徒が敵地へことごとく退散するさなか、日瑜自身は同宿の被官以下を召し連ね、忠節のため時をおかずに頭陀寺城から移動した。頭陀寺一円を補任させるので、(このような判決は)一切許容しない。そしてまた、あの衆徒が飯尾を頼んで頭陀寺を領したいと係争があっても、これもまた許容しない。