足利政氏、上杉小五郎に、関東静謐についての沙汰を守らせる
[封紙ウハ書]「上杉小五郎殿 政氏」 復已前之儀、関東静謐事、可有申沙汰之由、顕定言上候者、弥相守彼儀、致忠節候者、可然候、謹言、 五月十三日 (政氏花押) 上杉小五郎殿 →戦国遺文 古河公方編1865「足利政氏書状」 … 足利政氏、上杉小五郎に、関東静謐についての沙汰を守らせる
[封紙ウハ書]「上杉小五郎殿 政氏」 復已前之儀、関東静謐事、可有申沙汰之由、顕定言上候者、弥相守彼儀、致忠節候者、可然候、謹言、 五月十三日 (政氏花押) 上杉小五郎殿 →戦国遺文 古河公方編1865「足利政氏書状」 … 足利政氏、上杉小五郎に、関東静謐についての沙汰を守らせる
去年十二月廿六日、於相州実田要害、自身被疵、被官等同前、粉骨之至感之候、弥励軍功候者、可為神妙候、謹言、 正月十三日 房能(花押) 発智六郎右衛門尉殿 →神奈川県史 資料編36449「上杉房能感状」(発智文書) 150 … 上杉房能、発智六郎左衛門尉が、相模国実田要害で負傷し活躍したことを賞す
敬白 毛呂平三 季長(花押) ■月廿六日 北坊 御報 →北区史582「毛呂季長書状」(八代国治氏所蔵文書) 仙波仏蔵院主に宛てたもので永正年間に比定。前後には扇谷上杉系の書状が並ぶ。
就神奈川 上様御進退事、自白井断而被進御文候歟、殊外驚思食、色ゝ被仰越候哉、以斎藤式部入道、条ゝ御意見旨共候、速有御下向、此方御意見之筋目被聞召合、始末無相達様、此度御返事候様ニ、可有御意見候、万一御聊尓御返事候者、五郎 … 矢野憲信、雲頂庵に、神奈川上様の進退について五郎殿様の意向を伝え、白井・上様・大殿の間柄は常に隔意があると助言する