今川氏親、奥平貞昌に三河国への出兵の予定を伝え、尽力を求める
先度以状申述候、為其国合力、来十六日諸勢可差越候、田原申合、抽而其動肝要候、例式於無沙汰者不可然候、此方勢衆逗留之内ニ細川ニ一城取立、上野通路無相違候様ニ、調談専一候、此儀就庶幾者、各以近番、加西衆可■相踏候、巨細諸勢相 … 今川氏親、奥平貞昌に三河国への出兵の予定を伝え、尽力を求める
先度以状申述候、為其国合力、来十六日諸勢可差越候、田原申合、抽而其動肝要候、例式於無沙汰者不可然候、此方勢衆逗留之内ニ細川ニ一城取立、上野通路無相違候様ニ、調談専一候、此儀就庶幾者、各以近番、加西衆可■相踏候、巨細諸勢相 … 今川氏親、奥平貞昌に三河国への出兵の予定を伝え、尽力を求める
雖未申入候、以次令啓候、仍関右馬允方事、名字我等一躰ニ候、伊勢国関与申所依在国、関与名乗候、根本従兄弟相分名字ニ候、以左様之儀、只今別而申通候、諸事無御等閑之由、被申候、別而我等忝存候、以後者、関方同前ニ無等閑候可為満足 … 伊勢宗瑞、小笠原定基に挨拶し今橋攻城を戦況を伝える
雖未申通候、以事次一筆令啓上候、仍関右馬允無御等閑之由被申越之間、自早雲以一札被申述候、太刀一腰令進覧候、巨細猶重可申入候間、不能具候、恐惶謹言、 九月廿二日 弾正忠盛泰(花押) 謹上 小笠原左衛門佐殿 御宿所 →愛知県 … 伊奈盛泰、小笠原定基に、伊勢宗瑞からの挨拶を取り次ぐ
雖未懸御目、伊勢早雲庵より為使者罷越候、尤御在城迄参、被申付子細、以口上可披露至覚語候処ニ、関方先々此方ニ相留候へ之由、堅被申候間、不能其儀候、仍駿州・頭州申合、田原弾正為合力被罷立候、然間、此度貴殿様別而申合、当国之時 … 大井宗菊、小笠原定基に伊勢宗瑞の意向を中継する
昨日十八申刻、就其方時宜、自関右馬允所注進到来候、横井へ御手遣、千秋万歳目出度存候、何事候共、相当御用、走廻度心底計候、当地事、今明日間可落居候間、自是必令啓候、猶無御心元候間、先以飛脚申候、猶関右馬允方へ申候間、定可被 … 伊勢宗瑞、小笠原定基に情報を報告する
依無差題目、遥久不能音問候、素意外候、其国如御本意之由候、目出於此方令歓喜候、就中参州儀、田原弾正兄弟数年憑此方候之間、度々成合力来候処、近日敵令同辺候、前代未聞候哉、就其可成一行所存候、毎事無御等閑候者、可為本懐候、何 … 今川氏親、小笠原定基に田原憲光の寝返りを報告する
於今度三川陣、抽而令粉骨由候、神妙尤感悦候、於向後弥可走廻候段喜悦候、猶朝比奈弥三郎可申聞候、恐々謹言、 十一月十六日 氏親(花押) 伊達蔵人丞殿 →愛知県史 資料編10「今川氏親感状」(駿河伊達家文書) 1508(永正 … 今川氏親、三河国における伊達蔵人の奮戦を賞す
今度於参州十月十九日合戦、当手小勢ニ候処、預御合力候、祝着ニ候、御粉骨無比類之段、屋形様江申入候、猶自朝比奈弥三郎方可有伝聞候、恐々謹言、 十一月十一日 宗瑞(花押) 謹上 伊達蔵人佑殿 →愛知県史 資料編10「伊勢宗瑞 … 伊勢宗瑞、伊達蔵人佑に、彼の合力を今川氏親に報告したと連絡
今度於参州十月十九日合戦、当手小勢ニ候之処、預御合力候、令祝着候、御粉骨無比類之段、屋形様江申入候、猶自朝比奈弥三郎方可在伝聞候、恐々謹言、 十一月十一日 宗瑞(花押) 巨海越中守殿 →愛知県史 資料編10「伊勢宗瑞書状 … 伊勢宗瑞、巨海越中守に、彼の合力を今川氏親に報告したと連絡
七日、陰、晩小雨、道賢以使云、遠江合戦落居、大河内父子切腹、今河帰国之由聞及云々、 →静岡県史 資料編7「1517(永正14)年9月7日の項目」(宣胤卿記) 7日、陰、晩に小雨、堀川道賢が使いを出して「遠江国合戦で決着 … 中御門宣胤、遠江国における合戦に勝利した今川氏親が帰国したと聞く