こゝもとなりかにて弐十俵、明年よりいらんなくしんしやう申へく候、すこしも無さた申ましく候、そのためこ一筆申候、かしく、

天文十三年 十一月十一日

ひろ定(花押)

(ウワ書)「(墨引)ふかうす殿御上さま 参 人々御中
             あんしやうより 与二郎」

→愛知県史資料編10「与二郎ひろ定請文」(本光寺常盤歴史館所蔵文書)

 こちらの収穫より20俵を、来年より違反なく進上いたします。少しの未納もありません。そのまえに一筆差し上げます。

今度駿河衆郡内江乱入仕候時節、雑人共対御寺江申致不儀候事、無是非次第候、雖然■拙疎略不存、■意趣■■■依申上■、被聞召■■■■■■■■、猶自今以後■堅申付、■栄■■■行并祖父全久如■■、■■有相違所如件、

永正拾伍稔 戊寅 正月卅日

田原左近尉 政光(花押)

進上 長興寺 参 衣鉢侍者御中

→静岡県史 資料編7「戸田政光請文」(長興寺文書・田原市)

欠損部分は先頭から、愚・其・数ヶ度・候・分御堪忍忝奉存候・者・玉・様御一・置文・不可と補う。

 この度駿河衆が郡内へ乱入した時節、雑人たちが御寺へ不法を言い立てました。是非もない次第です。私自身は疎略にしていなかったとしても、その意向は何度も申し上げました。お聞きになった分はご容赦いただけるとのことで恐れ入ります。さらに今より後は堅く申し付け、玉栄様ご一行、並びに祖父全久の遺言のとおりに、相違ないようにいたします。

 甚二郎殿別儀付而、具承候、 御屋形様并竹千代丸江忠節之事候間、甚二郎殿あとしき、無相違渡可申候、本知あいはの事ハ、只今東条殿へ被進候間、いまハなりかたく候、おつての儀たるへく候、将又うり地の事、甚二郎別儀の上ハ新地ニ成候事候間、無別儀申調可進候、如此上者、松井・山内両人ニ可任置候、委細酒井小五郎ニ申候間、諸事彼意見可被聞候、

 右、此条ゝ申合候儀、三人偽候ニ付而者、

日本国中大小神祇、別而者八幡大〓(艸+廾)・富士浅間大〓(艸+廾)・白山妙理大権現・天満自在天神御罰可罷蒙者也、仍如件、

天文廿年

十二月二日

飯豊 乗連(花押)

二近 持長(花押)

山新 景隆(花押)

松平甚太郎殿

  参

→新編岡崎市史「岡崎城代山田景隆等連署血判起請文」(観泉寺所蔵文書)

 甚二郎殿の別儀について、詳しく承りました。御屋形様(今川義元)と竹千代丸への忠節のことがありましたので、甚二郎殿の跡目は相違なく譲渡して下さい。本領の饗庭のことは、現在東条殿へ進上していますので、すぐには渡せません。追っての処理となるでしょう。さらに売った地のことは、甚二郎が別儀となった以上は新地となりますので、別儀なくこれを調整して進めて下さい。このようになりました上は、松井・山内両人に一任するでしょう。詳しくは酒井新五郎に申していますから、諸事彼の意見をお聞き下さい。
 右、この項目で申し合わせたことについて、3人が偽りを申しているのであれば、日本国中代償神祇、特に八幡大菩薩・富士浅間大菩薩・白山妙理大権現・天満自在天神の神罰を蒙るものである。