後北条氏、大藤与七に羽柴方来攻に対する備えにつき指示する
定 一来年西表与至于弓矢者、雖若輩候、代ゝ走廻、外国之覚候間、韮山ニ可楯籠事、 一明日早ゝ在所へ帰、廿五日迄致用意、六日ニ打立、廿七日ニ韮山へ移、美濃守可得作意事、 一長浜ニ指置者をハ、先八十人之分、手堅彼地ニ可置候、窺 …
定 一来年西表与至于弓矢者、雖若輩候、代ゝ走廻、外国之覚候間、韮山ニ可楯籠事、 一明日早ゝ在所へ帰、廿五日迄致用意、六日ニ打立、廿七日ニ韮山へ移、美濃守可得作意事、 一長浜ニ指置者をハ、先八十人之分、手堅彼地ニ可置候、窺 …
定条々 一諸公事裁許之日限、兎角申不罷出輩、不及理非可為越度、但或歓楽、或障之子細、於歴然者、各へ可相断事 一元康在符之間、於岡崎、各批判落着之上罷下、重而雖令訴訟、一切不可許容事 一各同心之者陣番並元康へ奉公等於無沙汰 …
岩付諸奉行、但今度之陣一廻之定 小旗奉行 中筑後守 立川藤左衛門尉 潮田内匠助 已上 右、何時も打立之貝立を傍尓ニ、小旗悉可相集、於押前物いわせす、いかにも入精可押、小旗敷定百廿余本可有之 …