今度就遠州入、最前両三人以忠節井伊谷筋令案内、可引出之由、感悦至也、其上彼忠節付而出置知行事
一井伊谷跡職、新地・本地一円出置事[但、是ハ五百貫文之事]
一二俣左衛門跡職一円之事 一高園曽子方之事
一高梨 一気賀之郷 一かんま之郷
一まんこく橋つめ共 一山田 一川合
一かやは 一国領 一野辺 一かんさう
一あんま之郷 一人見之郷并新橋・小沢渡
右、彼書立之分、何も為不入無相違永為私領出置所也、并於此地田原参百貫文可出置也、井伊谷領之外、此書立之内、以弐千貫文、任望候地可出置也、若従甲州如何様之被申事候共、以起請文申定上者、進退かけ候而申理、無相違可出置也、其上縦何方へ成共、何様忠節以先判形出置共、於此上者相違有間敷者也、委細者菅沼新八郎方可申者也、仍如件、
十二月十二日
家康
菅沼二郎衛門殿
近藤石見守殿
鈴木三郎太夫殿
→戦国遺文 今川氏編2201「徳川家康判物写」(鈴木重信氏所蔵文書)
永禄11年に比定。
この度遠江国へ入るに当たり、最前に3人が忠節をもって井伊谷方面を案内し引き出そうとのこと。感悦の至りである。その上で忠節について拠出する知行のこと。
一、井伊谷跡職、新知行・本知行の一円を拠出すること(但しこれは500貫文である)。一、二俣左衛門跡職一円のこと。一、高園曽子方のこと。一、高梨。一、気賀の郷。一、かんまの郷。一、まんこく橋つめ共。一、山田。一、川合。一、かやは。一、国領。一、野辺。一、かんさう。一、あんまの郷。一、人見の郷と新橋・小沢渡。
右は、あの書き立ての分で、どれも不入として末永く相違なく私領として拠出するものである。並びに、この地において田原300貫文を拠出するだろう。井伊谷領のほか、この書き立てのうち、2,000貫文で望みの知行を拠出しよう。もし甲斐武田家より何か申し立ててきても、起請文をもって決めた上は、進退をかけて説明し、相違なく拠出するだろう。その上、たとえどこにどのような忠節をして先に判形を出したとしても、このようになったうえは、相違があってはならない。詳しくは菅沼新八郎から連絡するだろう。