敬白 起請文之事
今度両三人以馳走、井伊谷筋を遠州口へ可打出之旨、本望也、就其所々出置知行分之事、永無相違為不入扶助畢、若自甲州彼知行分如何様の被申様候共、進退ニ引懸、見放間敷候也、其外之儀不及申候、右之旨、若於偽者、梵天・帝釈・四大天王、別而者冨士・白山、惣者日本国中神義之可蒙御罰者也、仍如件、
永禄十一年十二月十二日
家康判
菅沼二郎右衛門殿
近藤石見守殿
鈴木三郎大夫殿
→戦国遺文 今川氏編2200「徳川家康起請文写」(鈴木重信氏所蔵文書)
敬白。起請文のこと。この度3人が奔走して、井伊谷方面を遠江国へ出撃するとのこと、本望である。その場所ごとに拠出する知行は末永く相違なく不入として扶助するものである。もし甲斐武田家よりその知行分について何か言われたとしても、進退をかけて見放すことはありません。そのほかのことは言うまでもありません。右のこと、もし偽りがあれば、梵天・帝釈・四大天王、特に富士・白山、まとめて日本国中の神祇の神罰を蒙るものである。