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徳川家康、西郷吉員に、宇津山方面の作戦の前に知行を換える

今度宇津山東筋肝要之儀候間、就引付候、御知行之儀御堪忍祝着候、先少当座之為替代三百貫吉良河島、三百貫作手領、弐百貫小法師知行、百貫井谷領渡置申候、其上東筋相替儀候ハゝ、相違分可進候、貴所御忠節之儀候間、神八幡・富士・白山弥向後如在申間敷候、猶委細者左衛門尉行意可申入候、仍如件、
六月五日
 松蔵 家康判
西佐 参

→戦国遺文 今川氏編1994「松平家康判物写」(東京大学史料編纂所架蔵三川古文書)

永禄7年に比定。

 この度宇津山東方面が争点となったので、『引付』についてご知行で忍従していただき幸いです。まずは少しの当座の替地として300貫文を吉良河島、300貫文を作手領、200貫文を小法師知行、100貫文を井伊谷領からお渡しします。その上で、東方面で知行替えがあったなら、相応の分を進上します。あなたはご忠節を示していますので、神八幡・富士・白山にかけて、今後はぞんざいに扱うことはありません。詳しくは酒井忠次が手立てや真意を申し入れるでしょう。

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