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穴山信君、酒井忠次に、掛川攻囲の裏事情を訊く

如兼日家康江申入、長々雖対陳候、敵高山ニ陣取候間、不及一戦、無所詮労兵之間、種々東口廻籌策、大形首尾入眼之条、去廿四日被納馬候、内々向当城一行候之歟、不然者当府迄可有一動之由、狭量候之処、五日何もの陳場ニ令在陳、足軽をも不下、昨日未刻退散候、定五三日も蒲原之仕置可有之旨存候之処、直被引入候、如推量者、東口之調儀成就候哉、従日暮被越大河敗北之躰、不審不少候、弥其表御備肝要候、懸川之模様委承届度候、当表之儀本意不可有程候、畢竟 家康御覚悟当口可任信玄存分候、此旨可然様可有御披露候、猶期後信之時候、恐々謹言、

五日朔日

 信君

酒井左衛門尉殿

→戦国遺文 今川氏編2739「武田[穴山]信君書状写」(山形県鶴岡市致道博物館所蔵一智公御世紀巻一所収文書)

永禄12年に比定。

先日家康へ申し入れたとおり、長々対陣しましたが敵が高山へ陣取ったので、一戦には及びませんでした。目的も果たせず兵を疲れさせましたので、色々と東方面に謀を廻らしました。大体の首尾は成就しましたので、去る24日に馬をお納めになりました。内々に……あの城へ向け作戦するのでしょうか。でなければ当府を攻撃するだろうとのこと……心が狭いのでしょうか……5日間も陣場に在陣し、足軽すら下さず、昨日未刻に退散。きっと数日で蒲原の処置があるだろうと思っていたところ、直接引き入れられました。推量するとおりだとすると、東方面の調儀が成功したのでしょうか。日暮れより大河を越えられて敗北したていとのことで、不審な点が少なからずあります……。いよいよその方面のご守備が重要です。掛川の状況を詳しく承りたく存じます。こちらの方面は、本意までさほどかからないでしょう。最終的に、家康のご覚悟でこちら方面は信玄の存分にお任せ下さい。このことは然るべくご披露いただけますでしょうか。さらに後の連絡の時を期します。

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