以自筆染密書候、抑義信者、今川殿之為忘父子之契約候、晴信者五郎殿之為伯父ニ候、其上従長窪以来、至于今度武篇被成候也、数ケ度顕懇切之筋目候得共、如此等閑ニ者いかさまにも果候、疎候擬不信便候間、今度井上帰国之砌被致直談、此砌従氏康越中之国切無事之扱可然段可被申渡候歟、如何不可過工夫候、爰元にてハ和睦之沙汰態一切停止之可有其心得候、為其以模糊之書状申宣候、謹言、
七月十六日
晴信(花押影)
→武田氏研究50号 戦国遺文武田氏編 補遺15「武田晴信書状写」(石川県・石川県立図書館所蔵「雑録追加」十一)
天文24年に比定。
自筆をもって密書を送ります。そもそも義信は今川殿のため父子の契約を忘れました。晴信は五郎殿の伯父に当たります。その上、長久保より今に至り今度の武辺を成されています。何度も懇切の筋目を顕わしたのですが、このようにいい加減なあしらいではどうやってもお終いです。疎かな扱いで便りを信じませんから、この度井上が帰国した際に直接お話しします。この際に氏康より越中の国分けで事が起きぬよう申し渡ししていただきましょうか。どのように工夫しても過ぎることはありません。こちらでは和睦の動きは一切禁じていますので、ご承知おき下さい。そのため、曖昧な書状となりましたがお伝えします。