岩瀬雅楽助兵粮、今度忩劇之刻、鵜津山城へ籠置分、朝比奈孫六郎へ相断請取之、雅楽助ニ可相渡之者也、仍如件、
永禄七年 二月廿六日
氏真判
太原肥前守殿
→戦国遺文 今川氏編1965「今川氏真判物写」(東京大学史料編纂所架蔵三川古文書)
岩瀬雅楽助の兵糧について。この度の紛争の際に鵜津山城へ移して保管した分を、朝比奈孫六郎の許可をもらった上で受け取って、雅楽助に渡すように。
岩瀬雅楽助兵粮、今度忩劇之刻、鵜津山城へ籠置分、朝比奈孫六郎へ相断請取之、雅楽助ニ可相渡之者也、仍如件、
永禄七年 二月廿六日
氏真判
太原肥前守殿
→戦国遺文 今川氏編1965「今川氏真判物写」(東京大学史料編纂所架蔵三川古文書)
岩瀬雅楽助の兵糧について。この度の紛争の際に鵜津山城へ移して保管した分を、朝比奈孫六郎の許可をもらった上で受け取って、雅楽助に渡すように。