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高城胤辰、某に若御子陣の様子を伝える

態令啓上候、其以来御無音罷過候之間、内ゝ以愚札可申宣候之処、往還不自在付而遅延、不意御無沙汰被申候、然者今度長ゝ留守中無怠慢御精誠之由其聞ヘ候、単ニ御祈念故拙者不及申家中各無異儀候、殊当口御動之様子者甲州号若御子地ニ被立馬候、家康者本府中ニ在陣又新府中と申にも人衆二三千在陣候、彼地へ当御陣庭候間、六七里程ニ而毎日鉄炮合候、無二可被遂御一戦由候、敵者無衆御当方者大軍其上信甲之衆悉御味方ニ被参、逐日御威光増進候間、於御勝利者眼前候、我ゝ事者先衆ニ候之間随分可走廻候、尚以御祈念聊無御油断可在之儀、専要奉存候、何様当表於落成者、重而可捧愚状候、此由令得得尊意候、恐惶敬白、

追啓、山椒被遂御意候、即賞翫被申候已上、

八月十二日

 高城下野守 胤辰(花押)

→戦国遺文 後北条氏編2390「高城胤辰書状写」(甲斐国志百二十一)

天正10年に比定。宛所欠。

 折り入ってご挨拶申し上げます。あれ以来ご連絡もなく過ごしておりましたので、内々に私から書状でご挨拶するところ、交通が途絶して遅延し、意にならずご無沙汰申しておりました。ということで、この度長々の留守中、怠慢もなく精を入れられているとのこと、聞こえております。単なる祈念ですから、私が申すに及ばず家中おのおの異義はありません。当口での作戦の様子。甲斐国若御子の地に馬を立てられました。家康は本府中に在陣し、また新府中と申すところにも部隊2~3,000が在陣しています。その地へこちらの御陣庭がありますので、6~7里ほどで毎日鉄砲を撃ち合って、無二に一戦を遂げるだろうとのことです。敵は少数で御当方は大軍、その上信濃・甲斐の衆は全て御味方に参り、日を追ってご威光が増進していますから、御勝利は目前です。我々は先衆なので随分駆け巡りまいsた。さらにご祈念をもっていささかの御油断もなさらないこと、専要に存じます。こちら方面であったことはまた書状でお伝えします。このことをご了承下さいますように。

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