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覚書:今川氏真が興津彦九郎への家督継承を却下する

後年の氏真は比較的文意の取り易い文書を発行するのだが、家督を継承したばかりのこれ(興津左衛門尉宛判物写)は少し判りづらい。短く区切って解釈の意図を記述してみる。至らぬ点もあると思うので、ご指摘・疑問提起はお気軽に。

今度彦九郎号上洛、中途迄相越、親類被官人為書起請文、

「今度」は「この度」と表記している。これは、現代語の「今度」とは微妙にニュアンスが違う感触がするためだ。彦九郎という人物が上洛と称して途中まで行った、としている。その事前にか途中でかは不明だが、親類・被官に起請文を書かせたようだ。

対清房相企逆心、一跡押而可請取之催、甚以不孝之至也、

起請文の内容が書かれる。彦九郎が書かせた起請文は清房という人物への逆心=謀叛を企てる内容だったとしている。「一跡」は相続を指し、それを「押して」=強引に譲り受けようと「催」=活動した、という。「甚以」は現代語と同じ「はなはだもって」、不孝の至りとしているから、清房は彦九郎の尊属に当たると判る。

殊一城預置之上者、何時毛不得下知、一跡可請取事、自由之儀也、

「殊」は「ことに」と読み、最近では余り使われなくなったので「特に」と解釈では記述している。城を1つ預けているのだから、と書いている。これは清房に城を預けているということだろう。「毛」は音読みして「も」、「なんどきもげぢをえず」と読み下す。今川当主の了解と指示を得ずにという意図だろう。「自由」は当時悪い意味で使われており、今川家の管理を経ない相続は「勝手・無責任」だとしていることになる。

此上雖為父子納得、彦九郎進退不見届以前之儀者、一跡不可相渡、

「この上」という言葉は実は「一跡あい渡すべからず」にかかる。その中間には、前提確認(清房・彦九郎が同意していても)条件提示(彦九郎の「進退」を確認していないから)が入る。「進退」は様々な意味があるが、ここでは「振る舞い=言動と性格」を指すと考える。

清房納得之上、表向雖申付、知行等之事者、彦九郎覚悟不見届間者、可為清房計、

ここはしつこい。前文と極めてかぶる内容だ。清房が納得の上で「表向き」に申し付けたのだとしても……つまり、清房が個人的にも合意して正式に家督継承を指図したのだとしても、ということを書き立てる。言外に「自分が納得していないのだから」という氏真の非難が篭められており、それは続きの「知行などのことも彦九郎の覚悟が確認できていないのだから、清房しか認められない」という文で炸裂する。

致今度之企本人有之由申之条、遂糾明、其段歴然之上、可加成敗、

「致~条」は難解なのでおいておく。その後ろを見ると、糾明を遂げ、その段を歴然とした上で、成敗を加えるだろう、となっている。ということは、一旦読み飛ばした前段は、「条」は前段を順接する語なので、氏真が断罪する前提が書かれているのだろう。

「致」の目的語がどこまでかがポイントだが、「今度之企」を致す「本人」が「これにある」という「由」を申している「条=ので」と把握すると自然だと思われる。誰が告げたかは特定していないが、氏真が把握している情報では、本人である彦九郎が主体だと断定できる、としている。

縦山林不入之地仁雖令居住、父子之間如此取持事、依為奸謀、如清房存分加下知、

彦九郎が山林・不入の地(=アジール)に住んだとしても、父子の間を取り持つことは今川家に対する策略と見なす。だから清房の存分の如く(思い通りに)下知を加えよ。「加」の前に「可」が付くはずが欠字している。

ここで疑問が湧く。清房は息子と仲違いしているのか……。父子の間を取り持つ者が出てくる想定がある、ということは現段階で父子に意思疎通がないと見てよい。そうなると、前文で「本人が主体で謀叛を企てた」と告げた人物が清房だと断定できる。文書の宛名も興津左衛門尉=清房だから、訴えは実の父親から出され、氏真の判物を得たのだ。

ここからは推測だが、清房は興津家で孤立していたのだろう。息子や親戚に言いくるめられて家督を手放したが、何かの理由があって取り返したくなった。そこで、『城を預かる家は家督継承を今川当主に承認してもらわねばならない』という点をついて訴え出たと。

今度之子細取持輩之知行分於有之者、任先判形之旨、清房可為支配、

氏真の怒りは続く。この度の子細=事情を仲介する者の知行は、先の印判状に則って清房の知行としてよいとしている。仲介する者というのは興津家親戚や家中だろうから、改易して清房に与えるのは理に適ってはいる。適用根拠として「既に出された印判状の通りに」という一文を入れているが、これは根が深い。本当にそんな印判状を出していたのだろうか。実物が出てきたらアップロードしようと思う。

重父子之間取持公事 申出、如何様之道理雖有之、最前之首尾条々為曲事上者、一切不可許容者也、仍如件、

なおも氏真は牽制する。父子の間の訴訟を申し出ても、ここまで書いたことが首尾=徹頭徹尾、条々=細かいところまで「くせごと=けしからんこと」なので、一切受け付けない。と言い切っている。

この書状の面白い点は、家督継承に際して彦九郎が上洛しようとしたことにある。京の将軍に仕える直属軍=奉公衆であればその行動も判る気がするが、興津氏もそうだったのか。興味は尽きない。

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