雪の峠

『雪の峠・剣の舞』(岩明均著・KCコミック)は、歴史関係のブログでいくつか取り上げられた名作だ。特に『雪の峠』は佐竹氏に詳しい方も絶賛していたので、書店に少量入荷したという機会に購入してみた。結果からいうと、絶賛は正しい評価だった。いくつか研究成果とずれているし、フィクションとして故意に変更されている箇所もあるが、それでも、というかだからこそ面白く普遍的な内容に仕上がっている。

舞台は関ヶ原合戦後。秋田に転封された佐竹家中が題材になっている。城をどこに置くかで様々な駆け引きが繰り広げられるのがストーリーの殆どを占めるのだが、裏にあるテーマ『雪の峠を越えてきたのに……』という怨念(越山した上杉輝虎と、常陸から峠を越えた佐竹家が、梶原政景の心中でオーバーラップされる)も上手にリフレインされている。

様々な読み方があると思うが、私は中間年齢層の悲劇として興味深く読んだ。戦国華やかだった頃の武功世代と、太平の世の武士像を模索する官僚世代の間にいた面々。老いた武功世代は彼らの頭越しで官僚世代にバトンを渡す。官僚世代には新しいビジョンがあるからだ。彼らは若く順応性が高い。だが、そうなると中間世代の行き場がなくなってしまう。現代日本で言うと、年功序列と実績主義の狭間で割を食った世代が同じようなものだった。

徳川の世がほぼ決まって最早合戦もないだろうし、二君に仕えるなんて無茶もきかない。武士は槍より算盤が大事。中間世代の川井忠遠・梶原政景もこれは判っている。だが、これから自分の時代だと思っていたら「世の中大きく変わるから君らは要らない」と言われた訳で。それは抵抗するだろう。城を置くなら軍略に基づくべきで、商設備や交易ルートは二の次、戦国の世が終わるなどあってはならぬ、と。この自説を最後まで譲らず義宣に誅された川井忠遠は、ある意味この作品の本当の主人公であろう。

ちなみに、本作では言及されていないが、新世代のリーダーである渋江政光は大坂冬の陣で戦死する。武功派を粛清した余波での戦死は皮肉なものだ。華々しい戦死は、前文の通り誅殺された川井忠遠こそが望んだものだった筈だ。一方で、主家を逐電して余命を永らえた梶原政景にしても、実は永禄の頃上杉輝虎に誅されたかったのでは、という願望が垣間見える。輝虎の暴力を恐れて黙ってしまった自分を愧じながら生きていることが、彼の夢想シーンで示唆されるからだ。つまり、3名の主要人物はそれぞれに最も望まぬ死に方をしているのだと感じた。

読了後に調べてみたが、渋江氏は元々岩槻の領主だった。その後で山内・扇谷上杉氏がやってきて岩槻太田氏が君臨する。しかし、北条氏綱が攻め込むや渋江三郎は、抗戦を叫ぶ太田資正を追い出して岩槻城を後北条方にした。渋江三郎はその後の乱戦で討ち死にするが、岩槻城が本来は渋江氏のものだったと窺わせる史料である。作中の渋江政光は元々小山家中にいた者が養子に入ったので血縁関係はない。だが、渋江三郎と同姓の者が太田資正の息子と対峙するという図式は、妙に因縁めいて感じられた。

※同巻に収められた『剣の舞』は疋田文五郎がモチーフになっているが、余り戦国らしさは感じられない作品だった。残念。

 

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