「(懸紙ウハ書)松平亀千代殿 治部大輔」
去廿日、父忠茂於保久・大林討死、忠節之至也、知行被官以下、如前々永不可有相違、若被官百姓就有緩怠之儀者、遂糾明可令成敗、其外之事者、父忠茂仁出置如判形領掌了、弥可励忠功者也、仍如件、
弘治二年
二月廿七日
治部大輔(花押)
松平亀千代殿
→戦国遺文今川氏編「今川義元判物」(東京都杉並区今川・観泉寺所蔵東条松平文書)
去る20日、父の忠茂が保久・大林で討ち死にし、忠節の至りであった。知行・被官以下、全てを以前の通りで相違ないように。もし被官・百姓で怠慢な者があれば、詳細を調べて成敗する。その他のことは、父の忠茂に出した印判によって保障する。いよいよ忠功に励むように。