ディケンズの小説はどの作品も我が家のように寛げる空間だ。ページをめくると馴染みの顔ぶれがいつも迎えてくれる。世情が騒がしい昨今、どうしても読みたくなって気に入りの3作品からこれを選んだ。

ディケンズが完結させた長編としてはこの『Our mutual friend』が最後になる(『エドウィン・ドルードの謎』は未完のため)。最初の長編『ピクウィック』ではまだ異物として扱われていたブルジョワジーだが、その台頭は最早既成事実となっていて、物語では彼らが多数活躍する。モチーフは拝金主義の否定。そしてもう1つは仮死と蘇生による価値観の再生だ。

テムズ川のボートに乗る父と娘を描くスピーディな描写で物語は始まる。このオープニングは極めて近代的に感じる。説明的な文章も入りつつも、基本的には登場人物の動作や表情によって内面を伝えてくる。初期の作品は中世的な間延びを見せていたのだから、最末期に至るまで文体を模索していたディケンズの凄みが判る。

小説のメタファーは上で上げた川(再生の場)で、折々で登場する。川で生活していた娘のリジー・ヘクサムは、ある事情から川を離れる。そこに待っていたのは川とは違う開けた人間関係だった。友もいれば敵もいる雑多な環境にいきなり放り込まれたと思うのだが、ここはさほど深く描かれていない。それよりも、リジーによって怠惰な人生から目覚めかけているユージン・レイバーンへの説明の方が多い。

前回読んだ時よりも印象に残ったのが、障害を持った少女ジェニーの奇妙な歌。リジーと一緒にいたロンドンの狭い屋上空間。ここを天国になぞらえ、階下に退散する小悪党に向かって「戻ってきて、死になさいね」と繰り返し歌う。この小説のメタファーを考えると、作者に一番近い位置にいる代弁者は彼女かも知れない。

もう一つのメタファーである塵芥の山(拝金の場)の主人公も、本来のあるじジョン・ハーマンではなく、許婚のベラ・ウィルファーになっている。まあ普通に考えれば物語として奇矯なのだが、先ずはお手並み拝見。

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