注進状披見候、一土居之事、不及申候へ共、毎度諸人当意之出来を本ニ致、明日之雑作を忘候間、能ゝ岩付奉行衆ニ可被申付候、殊小わり共ニ候間、一間之内にて人ゝ之手前各別候者、必合目より可崩候、此処奉行之前ニ可有之間、後日無躰ニ崩候者、奉行之越度與被申断、廿五人ニ一間之積にて候者、廿五人ツゝ一手くミニ致様ニ、せめて有之而可然候、此由岩付奉行ニ可被申付候、其外得心候、恐々謹言、
三月廿四日
氏政(花押)
松田尾張守殿
→神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」(海長寺文書)
1580(天正8)年に比定。
報告書を拝見しました。一、土塁のこと。申し上げることでもありませんが、毎回皆さんはその場の出来栄えだけ気にして、後日の面倒を忘れますので、岩槻の奉行たちによくよく指示なさって下さい。特に『小わり』などですから、1間のうちでそれぞれの作業範囲が別だと、必ず継ぎ目から崩れるでしょう。これは奉行の前では持ちこたえても、後日無残に崩れてしまいます。奉行の落ち度と断定されます。25人で1間の割り当てなら、25人ずつ1組にするように、せめて取り図るべきです。このことを岩槻の奉行に指示なさって下さい。その他は納得しました。