就塩田在城、内田定所務百五拾六貫七百四拾文、二子之内弐拾貫五百文進之候、此外者以蔵出可渡申候、然間、具足・甲四十人、堅在城簡要候、恐々謹言、
永禄四辛酉
五月十日
信玄(花押影)
桃井六郎次郎殿
→戦国遺文 武田氏編「武田信玄判物写」(上田市・佐藤氏所蔵「続錦雑誌」)
塩田在城について、内田に定めた徴税権156貫740文、二子の内から20貫500文を進呈します。この他は蔵からの拠出でお渡しします。これにより、具足と兜の兵40名で堅く城番を努めることが大切です。
就塩田在城、内田定所務百五拾六貫七百四拾文、二子之内弐拾貫五百文進之候、此外者以蔵出可渡申候、然間、具足・甲四十人、堅在城簡要候、恐々謹言、
永禄四辛酉
五月十日
信玄(花押影)
桃井六郎次郎殿
→戦国遺文 武田氏編「武田信玄判物写」(上田市・佐藤氏所蔵「続錦雑誌」)
塩田在城について、内田に定めた徴税権156貫740文、二子の内から20貫500文を進呈します。この他は蔵からの拠出でお渡しします。これにより、具足と兜の兵40名で堅く城番を努めることが大切です。