去十五日衣城知行分麦毛薙捨之処、為御合力各出陣、一段馳走之由、誠本望存候、委曲重而可申入候、恐々謹言、

四月廿三日

義元書判

東条殿御人数中

→新編岡崎市史「今川義元感状写」(三川古文書)

戦国遺文では1550(天文19)年に比定。

去る15日に衣城が知行する分の麦を薙ぎ捨てたところ、援軍のためとして各自が出陣し、ひときわ奮闘したという。誠に本望に思います。詳しくは後ほどご連絡します。

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