去年四月十一日牛窪岡崎衆相動刻、味方中無人数之処、自最前無比類、於風呂構令刀切之旨神妙也、弥可抽粉骨者也、仍如件、
永禄五
八月七日
氏真在判
稲垣平右衛門
→愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(牧野文書)
去る年4月11日、牛久保に岡崎衆が出撃した際、味方が無勢だったところ、前線にて比類なく働き、風呂構において刀で切りつけた旨は神妙である。いよいよ粉骨にぬきんでるように。
去年四月十一日牛窪岡崎衆相動刻、味方中無人数之処、自最前無比類、於風呂構令刀切之旨神妙也、弥可抽粉骨者也、仍如件、
永禄五
八月七日
氏真在判
稲垣平右衛門
→愛知県史 資料編11「今川氏真感状写」(牧野文書)
去る年4月11日、牛久保に岡崎衆が出撃した際、味方が無勢だったところ、前線にて比類なく働き、風呂構において刀で切りつけた旨は神妙である。いよいよ粉骨にぬきんでるように。