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上杉輝虎、松平左近允に信濃国・関東への作戦説明を行なう

去此権現堂・大橋形部帰路ニ申含候条、家康江以使申届候、可然様ニ取成頼入候、彼者若輩ニ候間、被為引廻可為祝着候、敵之仕合、万々無心元迄候、此口隙明、無二従信・関手合可申心中、無他事候、可心易候、猶彼者可申候、恐々謹言、

極月三日

謙信御居判

松平左近允殿

→上杉家御書集成I「上杉謙信書状」(歴代古案)

1573(天正元)年に比定。

 先に、権現堂と大橋刑部の帰路で申し含めた事項は、家康に使者を使って通達しました。しかるべく取り成しをお願いします。あの者は若輩なのでうまくお取り図り下さると嬉しく思います。敵との交戦は全てが心もとないので、この方面で隙を作って、信濃国と関東から手合わせしたいと心中だと申し上げたいのです。他意はありませんのでご安心下さい。更にあの者が申し上げるでしょう。

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