十一日之注進状今十四日戌刻着府、如披見者越国衆出張之由候哉、自元存知之前候条不図出馬候、委曲於陣前可遂直談候趣具承候、飯富兵部少輔所可申趣候、恐々謹言
三月十四日
晴信(花押)
木島出雲守殿
原左京亮殿
→甲府市史「武田晴信書状」(丸山史料)
1557(弘治3)年に比定。
11日の注進状が14日戌刻に甲府へ到着しました。内容によると越後国の軍が出撃してきたということでしょうか。元から計画していたようにすぐ出馬します。詳細は陣に着いたら直接打ち合わせる趣旨は承知しました。飯富兵部少輔が内容を説明します。