内藤衆何十騎、かち者いか程馳集候、着到を付、急度可申越、於今度諸人不走廻而不叶候、自戦與云、為御国與云、無昼夜嫌、稼可走廻申、内藤同心衆普請稼候者、無用捨可記上申、只今役所普請ニ極候、昼夜共ニ可致之、猶遠山新三郎ニ被仰出者也、仍状如件、
巳
二月十三日
野口喜兵衛殿
矢部新三殿
井上三郎衛門殿
内藤一騎合衆
→戦国遺文 後北条氏編「北条氏康朱印状」(富士浅間人者文書)
1569(永禄12)年に比定。
内藤衆が何十騎で徒歩の者が何名集まるのか、着到を作成して取り急ぎ連絡するように。今度は様々な人が奔走しなければ成功しないだろう。『自戦』といい、国のためといい、昼夜を厭わず奔走して働くように。内藤の同心衆で普請担当は容赦なくリストに上げなさい。現在は役所の普請が大詰めで昼夜を分かたず行なうべきである。さらに遠山新三郎が命令を伝えるだろう。