御直札被下候、謹而奉拝見候、仍武田信玄被除候付而、早速御迎雖可被進置候、信玄無相違被除候付而、敵之動之様子見合、其上御迎可被進置段ニ付而、只今迄被致延引候、内ゝ拙者事申請候而、此度候間、御迎ニ可馳参覚悟候処ニ、信玄自身相州筋へ被罷出候付而、余人者共ハ、何も若輩故、拙者罷越、味方之地之備可申付段、今日未明ニ被申付候間、無是非、此度ハ不致参陣候、誠以無念至極候、雖然信玄相州筋へ之動之間、早速此間ニ引取可申段付而、御迎被進置候、就中松平事、是又御計策故、無別条、其御請候、既ニ手堅証人共進置段、被仰越候、是又珍重候、猶巨細者、御厨伯耆口上ニ申上候、以此旨可預御披露候、恐惶謹言、

五月十一日

北条左衛門大夫

綱成(花押)

進上 三浦左京亮殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条綱成書状写」(三浦文書)

1569(永禄12)年に比定。

 書状を直接いただき、謹んで拝見しました。武田信玄を退けられました。ついては、早速お迎えするべきところですが、信玄が間違いなく退けられたかについて、敵の状況を見て、それからお迎えしようと考えて現在まで延期なさっています。内々に私が申し請けて、この度ですから、お迎えに参上しようと決心していましたところに、信玄自身が相模国方面に出てきたことで、その他の者は何れも若輩であったため私が出動して味方の領地の防備を指示するよう、本日未明に通達がありました。是非もなく、この度は参陣いたしません。本当に無念の極みです。ではありますが、信玄が相模国へ出撃しているので早速この間に引き取るよう準備して迎えを出します。とりわけ松平のことは、これもまた計策により別条なく受諾、すでに手堅く証人たちも出ているとのご連絡。こちらも珍重です。さらに詳細を御厨伯耆守より口頭で申します。この旨をご披露下さい。

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