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今川義元、北条宗哲に西条攻めを報告、国境の状況を尋ねる

来翰祝着候、殊鮭給候、賞翫申候、随而当陣之儀、其以後就被成吉良殿逆心、近日西条へ動之儀申付、彼庄内悉放火、二百余討捕候、可御安心候、就中東口無別状候哉、承度候、猶期来信候、恐々謹言、

閏十月四日

義元(花押)

幻庵御房

→静岡県史 資料編7「今川義元書状写」

1555(弘治元)年に比定。

 お手紙ありがとうございます。お送りいただいた鮭は、おいしく味わいました。我々の戦線ですが、あのあと吉良殿が反逆なされましたので、最近西条へ出動を命じました。あの集落全てを焼き払い、二百人余りを討ち取りましたのでご安心下さい。東部国境に異常はありませんか? お教えいただければと思いますので、またのご連絡をお待ちします。

※閏十月が存在するのは、1536(天文5)年と1555(弘治元)年。1536(天文5)年時では今川義元は還俗していないので、1555(弘治元)年ものと確定できる。

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