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今川義元、弓気多七郎が安城・上野で攻城に活躍したことを顕彰

今度於三州安城、及度々射能矢仕、殊十一月八日追手一木戸焼崩、無比類働感悦之至也、又廿三日上野■南端城於右手ニ而も能矢仕、城中真先乗入、於本城門際、別而敵苦之条、神妙也、弥可抽忠功之状如件

十二月廿三日

義元判

弓気多七郎殿

1549(天文18)年に比定。

→豊明市史「今川義元感状写」(三川古文書)

 この度三河国安城で、よい矢を射た。ことに11月8日に大手の城門を焼き崩したことは比類のないことで、感動の至りである。また23日には上野■南端城で右翼からよい射撃を行なった。城中にも最初に乗り込み、本城の門で敵を苦しめたのは素晴らしい。ますます忠功に励むように。

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