去廿四日、於引間口孫妻河端一戦之時、於鑓下走廻弓仕之段神妙也、此旨被官桜田彦右衛門ニ可申聞之状如件、

永禄七年 三月二日

 上総介

大村弥兵衛殿

→戦国遺文 今川氏編1975「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書)

 去る24日、引間口の孫妻の川岸で一戦のとき、槍下において弓を使ったことは神妙である。このことを被官である桜田彦右衛門に申し聞かせなさい。

今川義元という人物は、感情を殆ど表わさない。これは、彼の文書を網羅して読んできて判ったことだ。他の大名だと文面にもう少し癖が出てくる。誠実さお人好しぶりが如実に出ている今川氏真や、かっとなって威圧的な文面を頻発させる北条氏康、それと似ているけれどもう少し皮肉っぽい上杉輝虎、心配性で愚痴っぽい武田晴信などなど。彼らと比べると、義元には本当に通り一遍の文面が多い。

そんな中で、今川義元、武田晴信に、同信虎の女中衆・隠居分について催促するという文書に注目した。常に淡々と用件を書く義元が、嫌味を連発している。

信虎女中衆之事、入十月之節、被勘易筮可有御越之由尤候、於此方も可申付候、旁以天道被相定候者、本望候

信虎の生活の世話をする女中衆について、父信虎を追放した武田晴信は「10月になって初めて筮竹で決める」と義元に通告したようだ。追放は6月だからかれこれ4ヶ月も経つことになる。しかも10月に来るという確約ではない。10月に易を立てるという約束だけでいつ来るかは未定。なのに義元が「こちらでも準備しておきましょう」と書いているのは「本当によこす積もりなんだろうな」という意味を込めているかも知れない。更に、「旁以」=「何れにせよ・どっちにしろ」と続き、「天道とやらでお決めになるのでしょうから、こちらも本望ですよ」と結んでいる。ただ、ここまでであれば、本当に易や天道を信奉しているのか嫌味なのかは微妙なところだ。

そして、「就中」=「とりわけ」と言葉をつなげる。

就中信虎隠居分事、去六月雪斎并岡部美濃守進候刻、御合点之儀候、漸向寒気候、毎事御不弁御心痛候、一日も早被仰付、員数等具承候者、彼御方へ可有御心得之旨、可申届候

「隠居分」=「隠居用の財産」の明細を問い合わせているのだが、これは6月の追放直後に慌てて甲斐に派遣した太原崇孚・岡部美濃守に対して晴信の了承を取り付けたものの、そのまま放置されていたようだ。暑い時分に追放されたまま何の援助もなく寒くなってきて「あのお方」も不便・心痛で大変そうだから、色々と決めてくれたらそれを事細かく伝えて「あなたの息子はちゃんと心得ていましたよ」と言ってやろうということだ。

先ほどまで「天道で決めるのはよいことだ、こちらも本望だ」と持ち上げておいて、「中でもとりわけ、隠居分は6月から放りっぱなしだけれども、もう寒くなってきたから1日も早く決めてくれ」と落としている。ここまで来ると嫌味と判断してよいと思う。きちんと対応する振りだけで実際には何もしないじゃないか、というニュアンスで間違いないだろう。

信虎の追放については、義元と晴信が事前に合議して決めたというような説も読んだことがある。しかしながら、この文書のニュアンスを見ていくと、『自分の父親を勝手に押し付けておいて放置するな、筮竹などとふざけている』という怒りが私には感じられる。この後、義元は上杉憲政との同盟を模索していく。憲政は晴信と佐久郡を巡って対立している存在だ。1541(天文10)年を境にして、駿河と甲斐は微妙な関係になったのかも知れない。

去十二日、三州御油口一戦之刻、走廻之段甚以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、

永禄六[癸亥]年 六月五日

 上総介(花押)

小笠原与左衛門尉殿

→戦国遺文 今川氏編1923「今川氏真感状」(小笠原文書)

 去る12日、三河国御油口の一戦の際、駆け回ったことは大いに感悦である。ますます軍忠にぬきんでるように。

今度三州過半錯乱、加茂郷給人等各致別心之処、財宝以下悉捨置云々、殊抽一身吉田エ相移令奉公段、甚以忠節也、然者陣夫一人并同名善四郎給拾貫文地、同三人扶持由雖申、各爾相尋随忠節之軽重遂糺明、重而可加扶助、并同名次郎兵衛抱来本給方名職之事、如本立時、年員諸役之儀者如年来可勤之、永不可有相違之状如件、

永禄辛酉四年 六月廿日

山本清介殿

→戦国遺文 今川氏編1712「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵牛窪記)

 今度三河国の過半が混乱となり、加茂郷の給人たちがそれぞれ寝返ったところ、財産を全て捨てたとか。特に一人だけ抜きん出て吉田へ移動して奉公したのは、大変忠節である。ということで、陣夫1人と同姓善四郎給10貫文の地、同じく3人扶持を申したとはいえ、それぞれに事情を聞いて忠節の軽重を調査に、重ねて扶助を加えるだろう。として、同姓次郎兵衛が保有している本給の名職のことは、本来のように年貢・諸役のことは年来の通り勤めるように。末永く相違のないように。