急度申達候、然者氏政為麦秋之動出馬候、御一勢可被立進候、自拙者相心得可申達之由、内義被申越之間、以使申届候、御人衆有御遅ゝ者、無其曲候条、来五日其地を被打立候様、堅可被仰付事、専肝候、委曲口上ニ申含候、恐ゝ謹言、

陸奥守 氏照(花押)

卯月廿八日

→戦国遺文 後北条氏編 1847「北条氏照書状」(米沢市立図書館所蔵色部文書)

天正4年に比定。

 取り急ぎ申し上げます。氏政が麦秋の作戦として出馬しました。軍を立て進められますように。私より心得を申し上げましたこと、内々で申し越されましたので、使者によってお伝えいたします。そちらの部隊が遅れたならば詰まらないですから、来る5日にその地を出立なさるよう、堅く仰せ付けられますのは、専ら大事なことです。詳しくは口上に申し含めます。

就当口着陣、早ゝ御使僧誠以喜悦候、近年者常陸口へ氏政被成進発故、久ゝ不申承候キ、前ゝ不相替相応之子細等、無御隔意就蒙仰者可為本望候、随而藻原自前ゝ老父別而申承候、此度房州口可罷向段屋形下知之間、任其儀三浦口へ出陣、拙夫当表へ致出陣之間、相応之子細可致馳走旨、老父申事ニ候之条、此理為申述度、藻原へ以書中申届候、片時も早ゝ御届被成候者可為本望候、明後日者本納近所へ可為陣■■間、急速ニ被遣偏憑入候、委細御使僧口上ニ申述候、恐ゝ敬白、

北条左衛門大夫 氏繁(花押)

八月十六日

本形寺 玉床下

→戦国遺文 後北条氏編 1797「北条氏繁書状」(本行寺文書)

天正3年に比定。

 この口に着陣することについて、早々にご使僧を送ってくれて喜んでいます。近年は常陸口へ氏政が進発なさっていたので、久しくお伺いしていませんでした。以前と変わりなくご要望など、ご隔意なく仰せをいただければ本望です。茂原は前々より老父が特別に伺っていましたが、この度房州口に向かう段、屋形の下知ですから、その趣旨の通りに三浦口へ出陣、私はこちらへ出陣いたしました。そこでご要望に奔走するべき旨、老父が申すことですから、このことを申し述べたく、茂原へ書中をもって申し届けました。早々のお届けができれば本望と常に思っていました。明後日は本納の近所へ陣を張るでしょうから、急ぎ遣わされ、ひとえにお頼みします。詳細はご使僧の口上にて申し述べます。

来翰披閲、特丸薬両様三包到来祝着之至候、白血薬并万病円何ゝ之煩ニハ呑汁以何用候、委細被書立可給候、関宿普請取乱之間、委曲自是可申候、恐ゝ謹言、

五月十七日

氏照(花押)

掉雪斎 回章

→戦国遺文 後北条氏編 1852「北条氏照書状」(芹沢外記氏所蔵文書)

天正4年に比定。掉雪斎は芹沢定幹。

 書状を拝見。特に丸薬両様3包が到来し祝着です。白血薬と万病円はどの症状で服用し汁は何の用途に使うか、詳しく注記していただけますでしょうか。関宿の普請で取り乱しておりますので、詳細はこの者から申します。