小田原 2
※本エントリは1998年と2010年の小田原を比較した個人的な覚書である。 前のエントリ「小田原1」の続き……。 幸田門を更に進む。ナック中村屋は外見そのままで健在にも思えるが、内部を見ていないので判らない。ここは古いデ … 小田原 2
※本エントリは1998年と2010年の小田原を比較した個人的な覚書である。 前のエントリ「小田原1」の続き……。 幸田門を更に進む。ナック中村屋は外見そのままで健在にも思えるが、内部を見ていないので判らない。ここは古いデ … 小田原 2
過日、高野書店で『小田原市史 後北条氏1』を購入するため、10年ぶりに小田原へ行った。さすがに町並みも変わっており、昔日の面影はなかった。そこで、私が知っている1976~86年頃の小田原と比べた所感を残しておこうと思う。 … 小田原 1
調子に乗ってアップし過ぎたせいか、これまで使ってきた『ppblog』が文字化け・検索不能という症状をきたすようになってきた。下書きを含めると、文字量の多いエントリー数が700を超える状況で、DB不使用は限界だったようだ。 … CMS変更
1561(永禄4)年での記述が不足していたため、織田方禁制と氏真感状を追記した。特に織田方禁制3件は尾張を中心に広範に及ぶもので、注目が必要だろう。 登録したエントリーが多くなったため、ppblogの検索機能が追いつ … 鳴海原合戦時系列を更に追記
表題の通り、これまで集めた史料を元に大幅に加筆を行なった。1543(天文12)年から1567(永禄10)年までの史料を集め、三河を巡る織田・今川氏とその関係者の動向を中心に列記してある。 その史料の大半は今川氏の関係者に … 鳴海原合戦時系列のページを更新
斯波義達の実名 斯波義達は、「義達」(よしたつ)がよく使われているが、一部に「義逵」(よしみち)としている資料も存在している。「達」と「逵」が崩し字で字形が似ることから、どちらとも判定がつかないようだ。このため記事中で … 斯波義達・徳川家康の表記について
今川氏から見た桶狭間に関しては、ほぼ史料を網羅できたと自負している。但し、1559(永禄2)年以前の三河・尾張の状況に関しては、2009年6月刊行予定の愛知県史資料編10を待つよりない。この史料の入手によって、松平・織 … 経過報告02:史料の精査
いよいよ『桶狭間』を巡る資料の掲載もひと段落といったところである。今川氏関係の史料はほぼ網羅できたことと思う。後北条氏・甲斐武田氏の史料も揃っている。惜しむらくは西側からの史料が薄い点だ。合戦の当事者である織田氏史料が … 経過告知01:直接史料の収束と兵員数検証史料の提示について