史材

今川義元、弓気多七郎が安城・上野で攻城に活躍したことを顕彰

今度於三州安城、及度々射能矢仕、殊十一月八日追手一木戸焼崩、無比類働感悦之至也、又廿三日上野■南端城於右手ニ而も能矢仕、城中真先乗入、於本城門際、別而敵苦之条、神妙也、弥可抽忠功之状如件 十二月廿三日 義元判 弓気多七郎 今川義元、弓気多七郎が安城・上野で攻城に活躍したことを顕彰

1559-1561年の異常気象

1559(永禄2)年 ○正月甲斐雪水大に民舎田圃を没す(妙法寺記)○十月十六日大雷雨十二月七日雷雨是日甲斐大雨水溢れて人家を没す(御湯殿上日記)○六月炎旱(厳助往年記)○是歳疫疾流行(妙法寺記) 1560(永禄3)年 ○ 1559-1561年の異常気象

検証a12:鳴海開城はいつか?

岡部五郎兵衛尉が鳴海を出て、合戦が収束したのはいつかを考察する。まず、各文書を時系列でまとめてみる。  合戦後最も早い文書は、5月22日に三浦内匠助が松井山城守に宛てたものだ。「去十九日、於尾州口不慮之御仕合、無是非次第 検証a12:鳴海開城はいつか?

今川義元、北条宗哲に西条攻めを報告、国境の状況を尋ねる

来翰祝着候、殊鮭給候、賞翫申候、随而当陣之儀、其以後就被成吉良殿逆心、近日西条へ動之儀申付、彼庄内悉放火、二百余討捕候、可御安心候、就中東口無別状候哉、承度候、猶期来信候、恐々謹言、 閏十月四日 義元(花押) 幻庵御房 今川義元、北条宗哲に西条攻めを報告、国境の状況を尋ねる