旧暦6月3日
7月6日は旧暦6月3日となる。この日、徳川家康(松平元康)が禁制を発している(松平元康禁制写)。 崇福寺は岡崎と西尾(吉良)との間にあり、この地点で今川方部隊が駐屯、もしくは交戦とすると、岡崎か西尾が反今川方となって …
7月6日は旧暦6月3日となる。この日、徳川家康(松平元康)が禁制を発している(松平元康禁制写)。 崇福寺は岡崎と西尾(吉良)との間にあり、この地点で今川方部隊が駐屯、もしくは交戦とすると、岡崎か西尾が反今川方となって …
今日6月28日は、旧暦5月25日に当たる。この日は氏真が天野景泰に宛てて、緊急事態を告げている(今川氏真書状)。 天野景泰はどこかの城を守備していたようで、堅固に守ったことを賞されているから、臨戦体制にあったのではな …
6月25日は旧暦5月22日に当たる。この日、氏真側近の三浦正俊によって初めて鳴海原合戦が語られた(三浦正俊書状写)。ここでは「不慮の巡り合わせ」としてのみ記され、松井左衛門佐(宗信)が奮戦して行方不明になったと語られて …
1560年の旧暦(宣命暦)5月19日は、新暦(グレゴリオ暦)で6月22日となる。ちょうど450年前のこの日、今川義元が尾張国鳴海原で敗死した。当日付けで合戦の模様を語った史料はない。その詳細は、この後最初の一報が発せら …
1561(永禄4)年での記述が不足していたため、織田方禁制と氏真感状を追記した。特に織田方禁制3件は尾張を中心に広範に及ぶもので、注目が必要だろう。 登録したエントリーが多くなったため、ppblogの検索機能が追いつ …
表題の通り、これまで集めた史料を元に大幅に加筆を行なった。1543(天文12)年から1567(永禄10)年までの史料を集め、三河を巡る織田・今川氏とその関係者の動向を中心に列記してある。 その史料の大半は今川氏の関係者に …
斯波義達の実名 斯波義達は、「義達」(よしたつ)がよく使われているが、一部に「義逵」(よしみち)としている資料も存在している。「達」と「逵」が崩し字で字形が似ることから、どちらとも判定がつかないようだ。このため記事中で …
2006年から工事によって足止めされていたが、ようやく隙を見つけて訪れてみた。この城は横浜市営地下鉄のセンター南駅から徒歩で10分、しかも公園化されて見晴らしもよいという、まとまった時間がとれない人間にはありがたい城跡 …
醜悪な殺人を描いた、ある意味著名なパート。ディケンズがこの殺人部分を晩年に何度も朗読のモチーフに選んでいる。個人的には、ドストエフスキーの「悪霊」はこの件に着想を得たように思う。ただ、仲間内の殺人が冷酷なものであったに …
4読目になる。この作品は『クリスマス・キャロル』の次に有名な作品で、映画化・アニメ化も何度かされている。しかも、ディケンズにしては短い作品となるために、ストーリーも割合忠実に映像化可能だ。 前回読んでから5年ほど経過 …