其地新田近所候処、搆要害夙夜致辛労之由、聞召候、誠以神妙候、已顕実向両庄、可成行之段、被申上候、其間事堅固相拘候者、猶以可感思召候也、

六月十三日

 (政氏花押影)

冨岡玄蕃亮殿

→戦国遺文 古河公方編1967「足利政氏御内書写」(内閣文庫所蔵冨岡家古文書)

1528(享禄元)年に比定。

 その地は新田の近所ですから、要害を構え一日中ご心労のこと聞きました。本当に神妙です。既に顕実が両庄へ向かい作戦を講じるだろうと報告がありました。その間堅固に守備するならば、さらに感じ入るでしょう。

於参州織田備後守間之事、重不及鉾楯弥属無事、都鄙儀令馳走者可喜入之段、対今川治部大輔遣内書候、無相違様被仰下者可為喜悦候、此等趣、可加意見之旨、彼年寄中被加芳言者可然候、猶聖護院殿可有演説候、恐惶謹言、

六月廿八日

義藤御判

「(封紙ウハ書)近衛殿 義ー」

   引合一重、上包無之、御竪文也、

→戦国遺文今川氏編「足利義藤御内書写」(御内書要文)

1551(天文20)年に比定。

 三河国での織田備後守との関係について。重ねての交戦に及ばず和睦となっており、都と地方のことで奔走することは喜びであると、今川治部大輔に内書を送っています。相違ないように仰せ下されたことは喜ばしいことでしょう。これらの趣旨で意見を加え、そちらの重臣たちによい言葉を与えるべきでしょう。さらに聖護院殿が申し述べるでしょう。

小倉内蔵助所持之馬鹿毛事、于今有之儀候哉、先々以来聞及候条、於差上者、尤可為満足候、猶量忠可申候也、穴賢、

永禄四年

十月十三日

御判

今川上総介殿

→静岡県史資料編7 「足利義輝御内書写」(小倉文書)

小倉内蔵助が持っている鹿毛の馬のこと。現在手元にあるだろうか。前々から尋ねていることだが、献上してくれるなら満足に思うだろう。さらに量忠が申し上げるだろう。

一就当国与岡崎鉾楯之儀、関東之通路不合期之条、不可然候、閣是非早速令和睦者、可為至妙候、委細三条大納言并文次軒可演説候、猶信孝可申候、穴賢

正月廿日

足利義輝花押

今川上総介殿

 あなたの国と岡崎が戦闘状態にある件ですが、関東への通行の障害になっています。是非はともかく早く和睦していただけると神妙の至りです。詳細は三条大納言と文次軒がご説明します。さらに信孝も申し上げるでしょう。

一就氏真与三州岡崎鉾楯之儀、関東之通路不合期之条、不可然候、仍差下三条大納言并文次軒、遣内書間、急度加意見無事之段、可馳走事肝要候、猶信孝可申候也

正月廿日

足利義輝花押

北条左京大夫とのへ

 氏真と三河国岡崎が戦闘状態にある件ですが、関東への通行の障害になっています。よって三条大納言と文次軒を派遣し内書を送りますので、取り急ぎ忠告して無事に済むよう奔走して下さい。さらに信孝が申し上げるでしょう。

就駿州与三州鉾楯之儀、関東之通路不合期之条、急度和睦可然候、仍対氏真遣内書候間、堅加意見可相調事簡要候、為其差下文次軒、猶委細信孝可申候也

正月廿日

足利義輝花押

武田大膳大夫とのへ

 駿河と三河が戦闘状態にある件ですが、関東への通行の障害になっています。取り急ぎ和睦させるべく、氏真に内書を送りましたので、決然と忠告して調整することが大切です。そのために文次軒を派遣しました。さらに詳細は信孝が申し上げるでしょう。

→豊明市史 「足利義輝御内書写」