龍潭寺寄進状之事
一 当寺領田畠并山境之事、南者下馬鳥居古通、西者かふらくり田垣河端、北者笠淵冨田庵浦垣・坂口屋敷之垣、東者隠龍三郎左衛門尉源三畠を限、如前々可為境之事、
一 勝楽寺山為敷銭永買付、双方入相可為成敗之事、同東光坊屋敷々銭永代買付、縦向後本銭雖令返弁、永代之上者、不可有相違候、同元寮大泉又五郎、彼三屋敷并横尾之畠、大工淵畠田少、門前崎田少、大内之田、桧岡之田、為敷銭拾七貫五百文、永代可為買付之事
一 蔵屋敷前々有由緒、令寄進也、同与三郎屋敷一間、同矢はき屋敷、是ハ只今仙首座寮屋敷也、隠龍軒者道哲之為祠堂、屋敷一間、瓜作田一反、同安陰・即休両人為祠堂、瓜作田弐反、同得春庵屋敷一間、可為寮舎之事
一 白清院領、為行輝之菩提処、西月之寄進之上者、神宮寺地家者、屋敷等如前々不可有相違之事
一 円通寺二宮屋敷、南者道哲卵搭、西者峰、北者井平方山、東者大道、可為境也、北岡地家者、屋敷田畠不可有相違之事
一 大藤寺黙宗御在世之時、寮舎相定之上、道鑑討死之後、雷庵以時分大破之上、相改永可為寮舎之事
一 祠堂銭買付并諸寮舎・未寺祠堂買付、同敷銭一作買之事、縦彼地主給恩雖召放、為祠堂銭之上者、澄文次第永不可有相違之事
一 寺領之内、於非法之輩者、理非決断之上、政道担那候間可申付、家内諸職等之事者、為不入不可有旦那之綺之事
右条々、信濃守為菩提所建立之上者、不可有棟別諸役之沙汰、并天下一同徳政并私徳政一切不可有許容候、守此旨、永可被専子孫繁栄之懇祈者也、於彼孫不可有別条也、仍如件、
永禄八[乙丑]年 九月十五日
 次郎法師[黒印・印文未詳]
進上 南渓和尚 侍者御中

→戦国遺文 今川氏編2050「井伊直虎置文」(浜松市北区引佐町井伊谷・竜潭寺文書)

一、当寺が領する田畠と山境のこと。南は下馬鳥居の古通、西は『かふらくり』田垣の河端、北は笠淵冨田庵の浦垣・坂口屋敷の垣、東は隠龍三郎左衛門尉源三の畠を限りとする。以前のように境界とすること

一、勝楽寺山は敷銭として永代で買い付けたので、双方の入会は処罰すること。同じく東光坊の屋敷も敷銭として永代で買い付けた。たとえ今後金銭を返弁したとしても、永代であるから、総意があってはなりません。同じく元寮大泉又五郎の3屋敷と横尾の畠、大工淵畠田が少し、門前の崎田が少し、大内の田、桧岡の田、敷銭として17貫500文、永代で買い付けています。
一、蔵屋敷は前々の由緒があり寄進されたものです。同じく与三郎屋敷1間、同じく矢作屋敷、これらは現在は仙首座寮の屋敷である。隠龍軒は道哲の祠堂として、屋敷1間・瓜作田1反は同じく安陰・即休両人の祠堂とします。瓜作田2反も同じく。得春庵屋敷1間は寮舎とすること。
一、白清院領は行輝の菩提処とします。西月が寄進したうえは、神宮・寺地・家・屋敷などは以前のとおり変更があってはならないこと。
一、円通寺二宮屋敷、南は道哲の卵搭、西は峰、北は井平方山、東は大道を境とする。北岡地の家は屋敷・田畠に相違があってはならないこと。
一、大藤寺黙宗がご在世の時に寮舎が決まったうえは、道鑑討死の後、雷庵の時分から大破していたので、改めて末永く寮舎とすること。
一、祠堂銭の買い付け、諸寮舎・未寺の祠堂の買い付け、同じく敷銭一作買いのこと。たとえあの地主の給恩が召し放たれたとしても、祠堂銭となったうえは、証文に沿って末永く相違があってはならないこと。
一、寺領の内、法律に違反したものは容疑を判断します。政道は旦那衆へ問い合わせ、家内の諸事は旦那から影響を受けてはならないこと。
 右の条々、信濃守の菩提所として建立するうえは、棟別・諸役の課税はあってはなりません。合わせて、全国で一斉に行なわれる徳政・私的な徳政のどちらも一切許容はありません。このことを守り、末永く子孫繁栄の祈祷に専念すること。あの孫でも別状があってはなりません。

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