去廿四日、引間口於孫妻河端一戦之時、相拘置牢人岩間和泉、蒙鑓疵三ヶ所走舞、遂討死之条感悦之至也、弥跡職於有之者、此旨可申聞者也、仍如件、
永禄七年 三月二日
上総介
大村弥兵衛殿
→戦国遺文 今川氏編1971「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書)
去る24日、引間口の孫妻の川岸で一戦のとき、抱え置いた牢人である岩間和泉が槍の傷3箇所を受けながら活躍して、討ち死にを遂げたことは感悦の至りである。跡を継ぐ者があればこのことを申し聞かせよ。
去廿四日、引間口於孫妻河端一戦之時、相拘置牢人岩間和泉、蒙鑓疵三ヶ所走舞、遂討死之条感悦之至也、弥跡職於有之者、此旨可申聞者也、仍如件、
永禄七年 三月二日
上総介
大村弥兵衛殿
→戦国遺文 今川氏編1971「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書)
去る24日、引間口の孫妻の川岸で一戦のとき、抱え置いた牢人である岩間和泉が槍の傷3箇所を受けながら活躍して、討ち死にを遂げたことは感悦の至りである。跡を継ぐ者があればこのことを申し聞かせよ。