武士の名前は結構複雑だ。今川氏親を例にとって見ていこう。
まず、彼が6歳で父親を失った際に登場する名前は童名。
童名 → 龍王丸
『丸』は童名でよく使われるが、これは省略されることもある。
そして元服という成人式を経て、実名が与えられる。この名前をくれる人が烏帽子親(氏親の烏帽子親は不明)。後述する【偏諱】という通例によって、実名は烏帽子親から一字を貰う場合がある。氏親が偏諱を受けるとすれば、古河公方である足利成氏ぐらいしか思い浮かばないが、そうなると古河公方の対抗勢力である堀越公方との関係性は微妙である。
苗字 → 今川
実名 → 氏親
これが基本パーツ。
実名と同時にもらえるのが仮名(けみょう)。氏親は『彦五郎』だった。今川家の当主は『五郎』が多い。
手紙などでは、今川五郎といったり氏親といったりする。手紙だと、省略した名前を自分にも他人にも使ったりする。織田氏の例だが、木下藤吉郎(秀吉)を『木藤』、明智十兵衛(光秀)を『明十』といったりする。
そして、これに官途名(かんとめい)という役職名が加わる。氏親は、治部大輔・修理大夫・上総介の役職名を持っている。この官途名は勝手に名乗る人が多い。氏親は一応正式に認可されているはず(未確認ではあるが、今川氏という家格の高さから、勝手に名乗る可能性は低い)。
また、修理大夫という名前を中国風に読んで『匠作』と呼ばれたりする。
そして、出家した際に名乗る名前がある。氏親は、紹僖と名乗っていた。そして死んだ後の戒名が喬山。喬山公と言われたり、菩提寺の名前をとって『増善寺殿』と呼ばれたりしていた。つまり、今川氏親という人物は以下の名前を持っていることになる。
氏:源
姓:朝臣
苗字:今川
童名:辰王丸・竜王丸
仮名:彦五郎
実名/諱:氏親
官途名:治部大輔・修理大夫・上総介
唐名:匠作(修理大夫)
出家名:紹僖
戒名:喬山紹僖大禅定門
菩提寺名:増善寺殿