先度於舟渡橋、岩小屋江後詰之人数多之討捕、御粉骨之至、無比類御感状被遣候、源二郎殿、両度抽御馳走、御感悦異于他被思召候、然間、御腰物正恒、被進候、御面目之至候、将又九八郎殿儀、御親類中人質於牛久保ニ被置、以身血重諸余不可有疎略候段、各御申候条、無御存知分ニ三戸大宮寺辺ニ、為山林可有御堪忍ニ候、是又御心安存候、委細御同名兵庫助殿へ申条、不能詳候、恐々謹言、
壬六月八日
朝下 親孝 判
長源 以長 判
由江 光綱 判
奥監 御宿所
→静岡県史「今川家奉行人連署書状写」
先の舟渡橋において、岩小屋へ援軍で入った軍勢を多数討ち取りました。粉骨の至り、比類もないことで御感状をお送りすることとなりました。源二郎殿は2度も活躍し、特に御感悦は格別です。太刀『正恒』が下賜されます。名誉の至りです。そしてまた九八郎殿のことですが、親類から人質を牛久保に置き、血の絆を以って仕えてくれているので、疎略に扱うことはないでしょう。それぞれの言い分を聞き、申告がなかった大宮寺付近の2~3戸は、山林として許容されるでしょう。これもまたご安心下さい。詳しくは奥平兵庫助殿へお伝えしていますので、ここでは記述しません。
閏6月は1558(永禄元)年。