NHKライブラリーから出されたこの本は、著者:舘鼻誠がNHKラジオ講座で「戦国争乱の群像」を担当していたことから刊行された、戦国時代の入門書である。

 これまで紹介した書籍とは異なり、生の古文書を扱うというよりは、最新の学説を取り入れたよりダイナミックな戦国時代像を解説している。エピソードを中心に、文の密度も低めで丁寧に記述しているが故に入門書として取り上げてみた。どのエピソードも、現代人の感覚ときちんと関連付けているのが心憎い。

 中でも第5章の「乱世を生きる女たち」が出色だ。実家を背景に家政を行ない、夫を叱り、子の行く末を案ずるという姿は、現代の自営業家庭にも充分通ずるのではないかと思う。

 非常に微細な点(羽柴氏が後北条氏との決戦をいつ決断したか、寿桂尼と花蔵の乱の相関性など)では説明が不足しているような気がするが、そういったことよりも先ずは戦国の全体像を把握してこその入門書であり、全く問題にはならないだろう。

※舘鼻氏はブログも開設しており、小早川領の記事をエントリーしている。

 前回から間が空いてしまったが、考察を続けてみようと思う。織田信長と徳川家康の不在という局面で、東国はどうなるのか……。

 後継者が幼児のみとなった徳川家で今川氏真が頭角を現わす。氏真は、北条氏政からの申し出を受けて、家康の次女督姫を氏直正室とするプランを提示(長女亀姫は既に嫁していたため)。氏直は過去氏真の猶子となった経緯もあり、氏真後継者としての側面も残しつつ徳川との婚姻に踏み切る。同時に、秀康・秀忠の2人も小田原へ送られる。

 徳川家中を完全に掌握した氏真は、駿府・掛川・浜松・岡崎で本拠地の設定に迷う。父祖の地である駿府・掛川へ行けば旧今川家臣団を掌握するのに有利だが、三河方面が手薄になる。浜松は徳川が東進策をとるための暫定拠点に過ぎないし、岡崎まで行くと駿河が心もとない。折衷案として、吉田(今橋・牛久保)に居を定めるのではないかと思われる。

 この間に旧織田家では羽柴氏と柴田氏の対立が進む。氏政は、対立する上杉景勝が羽柴氏に接近したことから柴田・信雄サイドを選択。同盟者の氏真に対羽柴戦線の形成を委託。上野国沼田に氏邦、信濃国小諸に氏照、甲斐国新府を経て東美濃岩村に氏光。氏照は更に北上して海津に入り、春日山を窺う。

 明けて1583(天正11)年、西への前衛となった今川(徳川)に対して、後北条よりは北条氏規・氏勝と大藤・清水の各隊が送られる。大久保・酒井・鳥居の各隊と臨戦態勢で岡崎に移った氏真に合わせて、信雄の尾張後詰として氏直が遠征。美濃の羽柴方を尾張と越前から挟撃する体制を構築する。

 佐竹・佐野・小田ら北関東衆と安房里見が羽柴氏より撹乱を依頼されるが、佐野氏忠・太田氏房・千葉直重が抑え込む。この段階では羽柴方と反羽柴方の戦力は拮抗していた。ところが、柴田勝家は近江国賤が岳で敗死。羽柴氏の覇権がほぼ確定となっていく。織田信雄も羽柴方に取り込まれていく状況で、西戦線は三河・信濃の専守防衛に退嬰していく。その中で氏照が越中神保氏の取り込みに成功。春日山を陥落させ、景勝は坂戸城へ移った。

 一方、中央政局は、京を掌握する羽柴方の独壇場だった。豊臣の氏を認められ、関白・太閤と昇任して朝廷権威を活用する。この豊臣氏に対抗するため、氏政は古河公方遺児の氏姫と小弓公方遺児の国朝を取り合わせて鎌倉公方家を再興する。国朝は現将軍足利義昭の偏諱を受けて昭氏と改名。義昭合流も検討し始める。翌天正12年には、伊達輝宗から家督を継承したばかりの政宗に奥州探題の地位を正式承認する。

 後北条氏を中心に据え始めると、羽柴方との政治落としどころが見えづらい。非常に難しい仮想史観となったが、次回辺りで終息させようと考えている。