狩野為茂、平子平左衛門尉に、伊東九郎指揮下で小田原・七沢以来度々活躍したことを上杉房方が賞するだろうと告げる
先度令啓候、伊東九郎方被并為茂馬、小田原・七沢以来度ゝ合戦、被致粉骨候、自御屋形様被成御感候者、猶以忝可存候、恐ゝ謹言、 長亨二年五月十六日 大膳亮為茂 謹上 平子平左衛門尉殿 →神奈川県史 資料編36380「大膳亮為 …
先度令啓候、伊東九郎方被并為茂馬、小田原・七沢以来度ゝ合戦、被致粉骨候、自御屋形様被成御感候者、猶以忝可存候、恐ゝ謹言、 長亨二年五月十六日 大膳亮為茂 謹上 平子平左衛門尉殿 →神奈川県史 資料編36380「大膳亮為 …
久下信濃守事、累年相守当方、忠節異于他候、寔可被聞及候、仍近日可参宮分候、然者東海道於可透候間、往還無相違様、伊勢宗瑞方へ懇被申越候者、可喜入候、恐ゝ謹言、 正月晦日 可諄判 長尾左衛門入道殿 →神奈川県史 資料編36 …
雖未申通候、馳走候、抑今度尾州之儀属本意由候、天下之名誉不可如之候、将亦万松院殿御時、治部大輔へ御所望之段、御約束之子細候キ、堅雖被仰置候、近日雪斎毎事令斟酌、不存之由候条、此節馳走可為御祝着候、武命取合肝要候也、謹言、 …