[切紙]去十七於甲州北■表、敵一人討■■、高名之至感■■、弥可走廻者■、仍如件、

八月廿二日

 (北条氏直花押)

河田新四郎■

→戦国遺文 後北条氏編2399「北条氏直感状」(秩父市立図書館所蔵新井文書)

天正10年に比定。

 去る17日、甲斐国北谷方面で敵1人を討ち取りました。高名の至りで感じ入りました。ますます活躍なさいますよう。

疾以直状雖可申述候、不知案内之間、先以遅ゝ非心疎候、抑無際限長陣、殊遠国与云、切所与云、及寒天不一方儀共、更ニ御辛労不申立得候、就中御坂普請出来之上、仕置已下、委細左衛門佐ニ申付候条、被相談尤肝要候、恐ゝ謹言、

十月廿五日

 氏政(花押)

上野筑前守殿

→戦国遺文 後北条氏編2439「北条氏政書状」(館山市立博物館所蔵上野文書)

天正10年に比定。

 すぐに直接書状で申し述べましたが、不案内でしたから。まずもって遅延となっているのは粗略に思っているからではありません。そもそも際限のない長陣で、特に遠国であることといい、難所であることといい、寒気となってまた厳しいのですが、更にご心労は申すまでもありません。なかんずく御坂の普請が出来上がった上は、処置以下を左衛門佐(氏忠)に申し付けましたので、相談なさるのがもっともで肝要です。