今年2月に刊行された『戦国遺文 今川氏編』だけでも「生きている間に出るなんて」と驚いたのだけど、その後出ていた『戦国遺文 房総編』で「東京堂はどこまで行くのか。財布は持ちこたえられるのか」と不安になっていた今年の流れ。
 7月2日。書店で平積みにされる『戦国時代年表 後北条氏編』(下山治久・編 東京堂出版)を発見。後先考えずそのまま購入してしまった……15,750円也!
 年表というと一般的には横長で薄いイメージがあるが、本書は全く異なる。サイズでいうと成人男性向け弁当箱ぐらい。字もぎっちり詰められている。
 編者は『戦国遺文 後北条氏編』の編纂に加わっていた人物。戦国時代の史料集として『戦国時代 後北条氏編』は当初孤高の存在だった。そこで課題となったのが年次比定。他大名・公家などの史料を援用せずに誤ったり不明のままだったりしたものを、各自治体史・戦国遺文他氏編と比べて正確な比定を試みたものである。序文で編者が書いているが、史料を編年でまとめていったらどんどんと大きくなっていき、この規模になったそうだ。
 ということで今、付箋紙を貼り散らして活用中だが、後北条氏に関してはもう完璧じゃないかという高レベルに大満足、というよりは内容の豊富さに押されぎみ。たとえば1553(天文22)年9月5日、

時宗の他阿上人体光が今川義元に、子息氏真と北条氏康の娘早河殿との婚礼を祝福する(古筆類手鑑所収文書・藤沢市史研究二八-一三一頁)。

 体光といえば、義元に「尾張出兵に言及した書状」を送った人物。この書状の存在はノーマークだった。
 巻末に詳細な索引もつけられているのも便利。試しに「体光」で引いてみると、体光は句集を編纂して後北条氏家臣と歌会をやったり、白河・会津に布教に出かけたりしつつ、1562(永禄5)年に出羽国で客死していることが判る(その後北条氏舜初見文書で「体光の時……」と引用されている)。寄進を渋る北条氏康にイライラしたりで、遊行寺を維持するのも大変だったんだなあと判る。
 とにかくこの1冊が手元にあると、史料本体の塊をめくらず俯瞰できるのが最大の利点だろう。後北条氏に興味がある方は、図書館・書店でぜひ一度ご閲読を。